コ テンゲツHU TIAN YUE
辛い時間過ごしたくないから。だから、嫌なことをしないといけなかったら、zineを作る。
上條:武蔵美に入って、鈴木ゼミにした理由は?
コ :なんか本人の前で言い出すのが恥ずかしいんですね。鈴木さんを知って、いちばん印象深かったのは考え方。鈴木さんのすばらしい作品のイメージより、この人がどこを見ているのかが気になりました。どことどこをつなげて捉えていったのかを感じながら、いろんな発想が出てきて、自分の中のもうひとりの自分が引き出されたような気がして大きな喜びが湧き出た。普段自分が思っている事、これからどういう風に表現すればいいのか、鈴木さんだったら、わかってくれるかもと思っていた。
鈴木:考え方に関してはどこで知ったんですか?作品集やインタビューですか?
コ :Twitterです。きれいにまとめられた文章より、Twitterでは日常的な発見や思い付いた事が伝わってきました。
上條:なるほど、じゃあ、今のところ、この一年でゼミの活動を参加してみて、どうですか。
コ :やはり最初と今の感覚ぜんぜん違いますね。最初言語的に大問題持っていたわけで、自分の立場がきびしかった。必死に日本語の単語を覚え上で、みんなの話を理解していき、こっちが大変なところでした。すべてのこと、まるで空で浮んでいるような気がして、具体形になれない。けれど、曖昧でスペシャルな視点から生活のすべてを感じていき、そのわからなさもおもしろいと思います。
鈴木:確かに、言葉がわかるから、理解できたり、気持ちがわかるわけではないですしね。
コ :そうですね、しかも聞きたくない場合、集中しないと、わからない。
上條:確かに(笑)。日本語スイッチ切ってしまうね。海外に行くと、その感覚がよくわかります。なんかパッとスイッチ切っちゃう。ぜんぜん聞こえてこない。ところで、ゼミに入ってから作ることは変わってきましたか?
コ:変わってきたというより、むしろ自分が喜んでできそうなことがわかってきた。前は布の製作にこだわって、まず考えることより、「なんとかカタチにしなきゃ」という意識があった。でも今はzineをつくることにはまっている、なんか、没頭して制作より、喜んで想いを彫り込んでいき、具体形にしなくても、なんとか他人と共用できそうな事をやってみたくなってきた。
鈴木:確かに作品の素材やコンセプトを意識した瞬間に全部決めないといけないと思ってしまう。「zine」という課題でやっていることは柔軟性のあるプログラムです。予測できないことが入ったり、後から修正可能も可能。プログラムが複雑系になっていて、ノイズもありどんどん変化していく。はっきりとしたジャンルがあるわけでなく、何をやっているんだろうという感じがするんだけど、コ さんの目の付け所を周りもわかってきているところを見ると、コミュニケーションが取れているというよりは、新しい形で人と人が対話できる感じがしました。ところで、今はどんなことを考えているんですか?
コ :多分、役に立たない遊びだと思っています。
上條:それはコ さんにとって、ものなのか、今やっている事なのか?
コ :そうですよね。遊びという概念、そもそも人によって違うんです。同じ体験しているんでも、ある人が、なんとかヒントのようなこと思い付いたら、それは役に立つと思われるかもしれない、けれど、多くの場合、なんとかやったことを通し、すぐ結果のような事が見えてほしいとみんな思っている。でも、その定義がむずかしい。だから、すべてを遊びとして、どうやってうまくやっていくというより、役に立たないものが人間にとって大事だから、いつでも。
上條:確かに、ある人にとって役に立たないかもしれない、ある人にとっては、生きるためにすごく必要なことかもしれない。
鈴木:でも、役に立っているのに、役に立っていることに気付いていない場合が多いでしょう。例えば、ある人がじつはすごく乾電池に助けてもらっているのに、全然乾電池のこと意識していない。「実はあなたは乾電池に助けってもらっているよ」って、第三者が指摘することによって、「そういえばそうだった」とわかる。そういった他者との交流があって見えてくることが制作に含まれています。
コ :前に作ってみたzineの一冊「パンのみみの説明書」は、最初読んでも全くわかりません。文字の説明も書いてないし、けれど、読めば読むほど、なんとかいけそうな気がして、最後のページの答案用紙見ると、「なるほど!」という、はじめから作者の思想を知るのではなく、まずは自分から「遊んでみて」、「見えない質問」を考えながら最後に作者のコンセプトを見る。勘違いしても、なんとか「自分の遊び方」と「作者の遊び方」がどこか共通するところが生まれるような気がします。その体験も私は「遊び」だと思います。
鈴木:なるほど、それは「遊び」のデザインですね。
コ :ところで、ふと最近学校の民俗造形研究という選択授業のレポートを思い出した。テーマは「はこ」です。研究レポート書くのはすごく大変そうな気がして、zineをつくりました。
鈴木:(笑)
コ :自分がつくったのは「はこってなに」という疑問に関する内容なんです、でも先生が欲しいのと自分が出した課題と違うかたちに発展中です。
鈴木:それでも、単位はとれるんですか?
コ :単位は、とれそうです。でも出したのは、ちゃんと書いたレポートです。それは一応学校のレポートなので、真面目に書かなきゃ。zineはその上でつくってみました。
上條:それはすごく大事だと思う。zineは、コ さんにとっては言葉であって遊びなのでしょうね。
コ :辛い時間過ごしたくないから。だから、嫌なことをしないといけなかったら、zineを作る。そうすると、自分のなかを裏切ないし、なんとか両立できそうな仕方ですね。
鈴木:そのレポート課題を投げ出したわけではなく、両方やったんですね?
コ :やりました。
鈴木:zineを作る喜びがあるからレポートもできたということですね。
コ :そうですよね。それは、やりながら、いろんな新たなことも思いつけるし、その時間も満足できるし。
鈴木:それは最高のやり方を見つけましたね。自分だったらレポートではなくzineでもいいかもしれないと思って提出するかもしれない。(笑)先生が許してくれるかもしれないと…。
上條:今後、卒業に向かって、どういうことをやりたいですか?
コ :いまzineの作りを満喫しているんですが、でも卒業制作では、zineを作らないようになんとか自分からの遊び体験みたいな作品を考えています。
上條:作品の素材は?
コ :やはり布かもしれないですね。
上條:卒業してから、どうしますか?
コ :考えていますが、長い時間悩んだんだけど、今わりと、デザインに関する仕事じゃなくでもいいかなと思っていますね。ずっと本やアートに関する仕事がやりたくて、自分の得意のところとつなげられると、最高ではないでしょうか。一方で、仕事は仕事なので、趣味と仕事を分けてみても、今では全然いけそうな気がしています。
上條:レポートを出してzineも作ったような感じで、卒業後もやっていけたら面白いですね。