戸口誉HOMARE TOGUCHI

喫煙所で作業していたときのほうが自分でもしっくりきていました。ゼミ展の会場はほかと区切られてしまっていているし、外と完全に違う感じがして。

《蕩ける民族》2015 3年次ゼミ展「CAN P - 可能性の場」
《蕩ける民族》2015 3年次ゼミ展「CAN P – 可能性の場」

上條:まず、なぜ美大に入ったか教えてください。

戸口:小さい頃から絵を描くのとものを作るのが好きで、特に立体を作るのがすごく好きだったんです。もともと芸大のデザイン科志望で、粘土の模刻と紙立体が大好きでした。

上條:立体が好きだったのに彫刻とか油とかじゃなくてデザイン科だったんだ。

戸口:そうなんです。

上條:それはどうして?

戸口:私も自分で気づかなかったんです。デザイン科に行きたいと思ってたんですけど、どっちかというと工芸なんです。もともと考えていることとか作りたいものとかも工芸で。

上條:というと?

戸口:工芸って自分のフェチを形にするとか、そういうことのほうが強い。どんな素材を使ってこの形、とか、この空間を立体で取り込みたい、とか。デザインをしてなにかを解決することも好きだったんですけど、やっていくうちに私はやっぱり工芸のほうが向いてるなって。でもそれに気づくのが遅かったんです。

《蕩ける民族》2015 3年次ゼミ展「CAN P - 可能性の場」

上條:誰か好きだった人とかいる? 美術家でもいいし、工芸でもデザインでも。

戸口:そのとき好きだったのは名和晃平さんです。でも彫刻っていうよりはミクストメディア系の。

上條:名和さんが好きって言ってもアーティストとしての在り方みたいなところがいいのか、それともいろんな素材を使って彫刻やってるっていうことを捉えて興味を持っているのかとか。

戸口:生き方みたいなことだと、ヨーガンレールの考え方がすごく素敵だなと思っています。考えていることと、出来上がったものの昇華の仕方がすごく巧い…。うまい、っていうか…。廃材を使う人って多いけど…。プラスチックのものって大体彩度が高かったりするけれど、それが潮水でどんどん流されて彩度が抜けていって。そのあせていく経過さえ、彼の悲しさと優しさで色が柔らかくなっているような感じがして、すごく素敵だなと思ったんです。

《蕩ける民族》2015 3年次ゼミ展「CAN P - 可能性の場」

鈴木:廃材はヨーガンレールが手塩にかけて作ったわけではないのに、ヨーガンレールが扱った瞬間にそういうものに見えるし感じられる。名和さんの作品もそうですが、作品の「産毛」の部分というか、末端にこそ、その作家らしさが表れたりする。きっと、そういうところに戸口さんは反応してる。
さっきヨーガンレールの仕事に対して「うまい」と表現したと思いますが、おそらく「うまい」んじゃなくて、そう「なる」んだと思います。ヨーガンレールはみんなと違う感覚で生きている。素材を手にした瞬間にうまいと言わせるところまで飛び抜けてしまえる。個人的にはそれこそが「工芸」だと思います。生き方とか感じ方そのものが積み重なって、他の人には到達できないものになる。そういうところに戸口さんは憧れているんだと思います。
ゼミ展の作品のために流木を拾ってくるにしても、なぜその流木を拾ったのかとか、何かその人ならではのやり方があると思います。そういうものをひとまず意識して作ってみたら?という話をして…。どうでしたか? もはや制作というよりも生活ですよね?

戸口:すごく難しかったです。

鈴木:ドライフラワーを作っているところについて、作業スペースがなくてしかたなく選んだ喫煙所の横だったと思いますが、助手の渡慶次さんがその様子が面白かったと言ってました。

《蕩ける民族》2015 3年次ゼミ展「CAN P - 可能性の場」

上條:ひょっとしたらそのプロセスも記録にとどめておいて、それはそれで写真表現としてやってみるとか映像にするとかっていうような手法もあるのかもしれない。やっぱり世界を作っているような感じはして。プロセスを全部含めての作品だったのかなあと思って。戸口さんっていう人はこういう人なんだよっていうことを、全体の中から浮かび上がらせて欲しい。これが戸口さんかっていうのがまだ分かんなくて。

鈴木:さりげないかたちで人の生活の中に入り込んでいくような。ヨーガンレールはヨーガンレールらしさを伝えたいわけではなくて、自分自身に見えている世界を他の人にもみてもらいたいだけだったかもしれない。実際にパフォーマンスとして見てもらうことに対して、メデイアを介したイメージの伝え方を考えてみてもいいのではないかと思っています。ある民族が行なっていることは現実の生活の世界。それに対して、ファッションの世界は時にニセモノであることも最大の武器になる。戸口さんはそのあたりのことは既にわかっていると思います。

戸口:私も自分でファンタジーみたいなことがすごく気になっているんです。

鈴木:でも戸口さんの生活の中ではリアルですよね。感覚的には。

戸口:そうです。私のなかでは結構、生きていくうえで近いような気がします。

上條:ファンタジーは、戸口さんが持っているものだったりするんだけれども、一般の人たちがそのファンタジーに入り込むためには入り口が必要で。それがいかに日常に近いところにその入り口があるかっていうことが大事なんだよね。いかに接続してくかっていう。戸口さんの作ってくるもので、見る人も幅も、もちろん変わるだろうし。でもやっぱりパフォーマンスはやっていったほうがいいよね。空間と自分がちゃんといること。

鈴木:そうですね。戸口さんが生活しているだけで、パフォーマンスになり得る状態。

《蕩ける民族》2015 3年次ゼミ展「CAN P - 可能性の場」

上條:境界を無くせばいいってことでしょ?

鈴木:生活の中でパフォーマンスっていうことであれば、ゼミ展での作品のような見せ方はもしかしたらやり過ぎなのかもしれない。

戸口:喫煙所で作業していたときのほうが自分でもしっくりきていました。ゼミ展の会場はほかと区切られてしまっていているし、外と完全に違う感じがして。

鈴木:自分の作品を基点にそういうことが感じられたのはかなり大きかったですね。

戸口:はい。これからはパフォーマンスと生活について、もっと近くで感じていきたいです。そうして、私のファンタジーをほかの誰かにリアルとして感じてもらえるようなものづくりをしていきたいと思います。ありがとうございました。