4期生
遊びと機能
2017/06/18
文:奥西かずさ
自分の視点を外に出すことで新たな可能性を見つけたSAMPLING展を終えて、次のテーマに取り組むことになりました。「遊びと機能」です。
幼年時代における遊びや、人や世の中にとっての遊びについて考え始めました。遊びから学んだことは何か?なぜ、友達と会うことを遊ぶと言わなくなるのか?そもそも遊びとは何か?ルールがあれば遊びなのか?考えるほどにわからなくなります。
まずは自分が実際にやっていた遊びをゼミの中で発表し、次に遊びに関する個人的な体験や記憶から一歩進んだ「遊び」をつくることになりました。みんなの考えてきたアイディアのプレゼンを聞き、ルールという制限があることによって自由になる部分があり、その限られた自由の幅を広げていくことが遊びの楽しさなのではないかと思いました。子供の頃よりも知識や経験が増えた今だからこそ提案できる遊びを考えていきたいです。
次週は実際に試作をつくって遊んでみることで、ちょうどいい素材や大きさなどを見つけていく行程に進みます。
偶然のカタチ
2017/05/03
文:清藤豊
人はいくつもの偶然を積み重ねた上で成り立っていると私は感じる。しかし、偶然を偶然として認識することはあまりない。
私は5月末のゼミ展で、これまで落としてきた「偶然」を拾い集めて標本化しようとしている。今回は偶然のカタチを選別しながら、配置による見え方を観察した。
全体では、ゼミ展へ向けて各々の標本やスケジュールについて打ち合わせを行った。
次週はいくつかのテーマに沿ってサンプルを持ち寄るが、どんな偶然が生まれるのだろう。
27
2017/05/01
文:コ テンゲツ
使い慣れたモノには命があると思います。
先日のゼミでは、5月のゼミ展に関するテーマを決めました。
日本語はとても難しいです。
欠けている
2017/04/20
文:渡邉 夏美
今日はゼミ展の制作計画をプレゼンするため、割り箸・マッチ・うちわなど、各々のテーマに基づき採集した様々な「標本」が机上に並んだ。
「欠けている」をテーマに据えた私は、オロナインとオレンジを持参した。これは「欠けている」という状態について、記憶や体験をもとに、主観的な視点で採集したもの。
他に、それぞれ「取っ手」や「一回」、「貧乏性」など独自のテーマで標本採集を試みるゼミ生達がプレゼンを展開し、中間講評を受けた。
今回を経てそれぞれが新たな課題を見つけ、展示に向けてより具体的な方向に舵を切った。
視察
2017/04/17
文:奥西 かずさ
今日は、ゼミ展に向けて14号館の展示会場を視察しました。
日中は外から中の様子が見えにくいので、照明での見せ方や空間づくりが大切になってきそうです。
買い物袋を立ててみました。小さな風にも反応するせいか部屋の中の空気が軽く感じられます。人が近くを通った時に揺れる姿や、空の買い物袋の不自然な佇まいや中の空間が気になって思わず見つめてしまいましたが、持ち主の平さんがガサッとひとまとめにして片付け始めた時、ハッと目が覚めました。
会場も気に入ったので、あとはいろんな人が見つめてしまうような展示をするのみです。
気持ちの繭
2016/12/21
文:冨井 遥
インタビューをする、という課題に際し友人と母親にインタビューを行った。
日頃からよく話す相手に、改めてこうした機会を持って話をした時、私はこの行為を相手の心に触れに行くようだと感じた。
私が自らインタビューという場を設け、相手について知りたいことを聞くことで得る話はこの機会がなければ知ることが出来なかったものかもしれない。
その人について私が知っていることを、その時初めて意識する。仲の良い友達や家族でも、全てを知っている訳では無い。そのことも踏まえて「聴く」行為を心に触れると感じたのだ。
そしてその行為により触れた心を私は、「感情という膜が覆い、保護する気持ちの繭」として捉え、標本化した。
繭は非常に繊細だ。質問者である我々は会話に演出を施し、相手の心の繭にどう触れるのかが問われている。
目線
2016/12/21
文:平 彩楓
今回インタビューを通して感じた「相手の目線で世の中が見える気がした」ことを表現しようと思いました。
誰もが共通する生活をテーマに日常の「モノ・コト・トキ」を軸にインタビューを行い、編集していきました。
絞った質問は、
「あなたの日常にある線を教えてください。」
「あなたのお風呂での習慣を教えてください。」
「あなたの好きな時間を教えてください。」
また写真をとってきてもらい‘誰か’の生活を、見た人の目線で感じられる標本にしたいと思いました。
その人物の無意識の習慣や考え方など相手の記憶を通った質問の答えを編集していく作業の中で、何でもない日常のドラマを見ることがとても温かかったです。
経験、考え方、感覚、想い、全てが偶然重なってできた一人の人間が世界中にいることに安心するような、そんな作品になればいいなと思います。
断ち、迎え/立ち向かえ
2016/12/21
文:渡邉 夏美
私の祖母は、3年前認知症を患った。
祖母は、ときどき時間があやふやになってしまうらしい。例えば、戦争の話をした後は、今を戦後だと思ってしまう。しかしその一方で、昭和には生まれていないはずの私の事も、孫として認識している。認知症患者を知らない人には、理解し難い話かもしれない。
斜線の左側にある写真は、50年以上前に撮られたオリジナルの写真だ。私の祖母は手前の3人の、一番右に写っている。
斜線の右側にある写真は、左のものと殆ど同じだが、一見では気がつかないほど後方の中ほどに、私自身を写し込んでみた。
祖母の話すことを、総て受け入れると、私は昭和に生きているのだ。その証を写真という形で残そう、という試みが今回の制作の起点になった。
結末はない
2016/12/06
制作:飯嶋りか
わたしたちは物事の結果を、日々「こうであるだろう」
と予想してしまうことが多いように感じる。
しかし、結果というものは常に予想できないものだ。
予想どおりの結末など何一つ存在しない。見えないものなのである。
階段は異なる階にいくものだ。
しかしこの階段の先には何もない。
先にはなにかがある という考えは自分の思い込みからつくられた結末なのである。
卒業制作では、
その結末のないものー「こうであるだろう」というものは単なる思い込みである
ということを表現していきたいです。
ゼミ展のお知らせ
2016/11/21
このたび12月13日~16日
9号館Webスペースにて
3年鈴木ゼミ初のゼミ展が
開催されることになりました!
「インタビューをしよう」
という課題をもとに
ゼミ生がそれぞれの
「聴く」を表現します。
”聴く”こと、記憶のドリル
2016/11/17
文:渡邊 夏美
人体において、聴覚を司る器官である耳は、耳殻の形の多様さから、個人識別に用いられる部位でもあるという。指紋ならぬ、耳紋である。
2回目を迎えた「記憶のドリル」、今回のテーマは「聴く」。各々の机上に広げられたドリルの回答は、テーマの抽象さ故か各人各様の様相を見せ、興味深い結果となった。しかし、モチーフや解釈の歴然とした違いはさることながら、退がって見ると、それぞれのもつ線の個性、絵柄の差異が面白い。耳殻同様、個人識別が可能な域である。
インタビューをテーマに据えるゼミ展を12月中旬に控え、それぞれがアイデアのブラッシュアップを始めた。今回の記憶のドリル「聴く」も、一つの糧になったに違いない。
2回目のインタビュー課題
2016/11/14
文:冨井 遥
2回目のインタビューが宿題となった今回、如何に前回と対象や方法に変化を持たせるかが私たちの課題となった。2つにどういった違いが出るのか、そしてそこから生まれた疑問や感覚が「聴く」というテーマが掲げられることとなった今回のゼミ展の要素として、どう繋がることになるかを模索しながら取り組んだ様子が皆の授業での報告から感じられた。
私は前回の課題で、相手の格好や話す環境によって普段の気軽な間柄にも緊張感が生まれることを主題として扱ったのだが、対して今回は今まで真面目な話がしづらかった相手に極力いつも通りな雰囲気を演出することで相手に話しやすくさせる方法を考えた。そこから私の中で相手の心の変化、心の距離感といったワードが生まれた。目には映らない人の心に距離感を感じさせることが相手をどう変化させることになるのか。二度に渡り同じ課題に向き合い、なにかを追求することで自分の中でひとつの答えに昇華したい思いも深まっていくのだった
100枚のコップ、記憶のドリル
2016/11/10
文:筒井 純
鈴木教授から続けて、「コップを100枚描きましょう。」と課題が出されました。
皆が描いた机に並んだコップはそれぞれ個性的な進化を遂げています。
コップの概念を考えたり、同じコップをひたすら描いてみたり、形状や線を変えてみたり。各々の描き方のクセが浮き彫りになって、絵としても表情豊かなものになっているように感じます。
自分でも見えなくなっている、記憶の山の中に埋もれた「かたち」。それを掘り出し、
1つの「かたち」を少しずつ変化させて描いてみる。「かたち」は新たなアイデアへと変身します。
私はこの一連の流れに、発掘された「かたち」が徐々に彫り出されていく彫刻のようなイメージと重ねました。ペンで書く、または描くという言葉が、欠く、削る、彫るという言葉にどんどん変化していくような…。
ゼミの中で、この頭の中を掘り返す行為に『記憶のドリル』という名前がつけらました。どこか懐かしい響きです。『記憶のドリル』を通して起こるであろう、思わぬアイデアとの出会いが待ち遠しく思います。
コップの形、わたしのかたち
2016/11/07
文:筒井純
前回の日本列島に続いて、今回はメモ帳にコップを描きました。
コップといえば、丸い口が空いた円筒形。基本的な形状は同じですが、皆が描いたコップには、取っ手があったりなかったり。
私は取っ手を付けて描いていました。私が普段家で使っているコップは取っ手のついたマグカップ。この形は、知らず知らずのうちに私の中でのキホンになっていたようです。
日々の中で個々の記憶に自然と形成されたコップ。最初に描いた1枚目にはその人にとっての“最も自然なかたち”が現れていたのかもしれません。
蜜柑の色
2016/11/07
文:渡邊 夏美
蜜柑が美味しくなると、冬の訪れを感じる。蜜柑の蜜は甘いの意で、柑は柑橘の柑だという。では柑橘の柑は何かというと、やはり完熟した果実の甘みをいうのだそうだ。
鈴木教授から差し入れで頂戴した蜜柑を、暖色から寒色に並べた。左から、オレンジ色、橙色、レモン色、ライムグリーン。お気づきの通り、挙げた色は柑橘類の名を冠している。では、「蜜柑色」とはどんな色だろう?日本工業規格では、#F68B1Fという色が蜜柑色に定められているが、実物の、殊に果皮の彩は実に豊かだ。これだけ多彩ならば、実際に蜜柑から色を抽出したらどうだろう。商品になる段階で弾かれる蜜柑もあることを踏まえると、途方もない数の「蜜柑色」が見つかる筈だ。これを毎年行えば、その年の蜜柑の色の傾向が見えてくるかもしれない。
講義後、敢えてグラデーションの中で最も青い蜜柑を頂いた。甘く瑞瑞しい房は、果皮の青さとは打って変わり、まさしく蜜柑色であった。
インタビューとはなにか
2016/10/24
文:平 彩楓
「本を読んでいるようだ」
はじめてインタビューをした私の感想です。
今回、編集者 上條桂子さんから出題されたテーマは「インタビューとは何か」。
各自テーマを決め、相手を探し、演出をしてきました。
認知症の祖母や「死にたい」が口癖の後輩、バイト先のお客さんや元予備校仲間。
私の相手は同郷の友達でした。
緊張感が無い方がよかったので糸電話でのインタビューを行いました。
仲の良い友達と私とのインタビューで思ったことは、「相手の目線で世の中が見える」気がしたことです。
しかし、みんなの発表を受けて、これは私と相手との関係性や質問内容あっての結果なんだと思いました。
人と一対一で話すということはもっと曖昧で関係性や場の空気が違うだけで変わってしまうものなのに、この時自分はみんなに通ずるインタビューとは何か。を探していたことに気付きました。
1回目においての私の「インタビューとは何か」は、「私」と「あなた」との絶妙で曖昧な距離感を感じる行為だと結論づけます。
日本列島の形
2016/10/11
文:藤川 沙也香
「日本列島を書いてください。」という言葉とともに手渡されたKOKUYOのメモ帳。
まずは1枚。
それから時間をあけてもう1枚。
と繰り返し書き、最後に一番はじめに書いたものから順に並べてみた。
今回わかったのは、誰でも目にしたことがあるにも関わらず“記憶”の中にある日本列島は人それぞれ。1度行ったことのある場所は何かしらの思い入れから正確なカタチで表すことができたり、もしくは極端に大きくなってしまったりする。
授業で1番はじめに書いた日本列島はまさに“わたしの”日本列島だった。
2枚目、3枚目と書くにつれて、あぁ、ここはこんなカタチをしてたな。と周囲からの影響を受けて4枚目に書いた日本列島はみんながみんな似た日本列島を書いていた。
数分前まで確かにあった“わたし”が目に見えるカタチでここまで影響されるものかと感じた。
編集について
2016/10/03
文:冨井 遥
今回はゼミの非常勤講師であり、普段は書籍や雑誌、展覧会のカタログなどを手がけられている、編集者の上條桂子先生による「編集について考える」という授業でした。今日が初めての授業ということで、ゼミ生が各自持っている本を持ち寄り、持ってきた理由と「編集」という言葉について各自の考えを発表しました。
「まだ読んでいない本」「昔に家族からプレゼントされた本」「好きなものが載った本」、「苦手なものを知ろうとして買った本」など、それぞれの本との出会い方や思い入れは様々。私自身も今持っている本について、あらためて記憶を辿って見ると、あの時どうしてこれを手にしたのだろうか、という気持ちが蘇りました。そして、その何気ない行為にも「私」が表れていたのかもしれないと…。職業として位置付けられた「編集」に限らず、編集という行為そのものを捉え直すきっかけになりました。
授業の最後に、鈴木先生から「編集」を別の言葉や行為で喩えるなら?という提案がありました。料理や掃除などの行為もまさに「編集」と言えるのかもしれない…そう考えると、どこか曖昧になっていた自分の「編集」のイメージが繋がるような気がしました。
写真:平 彩楓 藤川 沙也香 松田 直也 冨井 遥 渡邊 夏美 奥西 かずさ 筒井 純
TOKYO ART BOOK FAIR
2015/09/19
文:冨井 遥
3年ゼミでの最初の活動として、東京アートブックフェアに行ってきました。この日は最終日ということもあり、会場内は人で溢れていました。このイベントでは、アーティストや企業がそれぞれにブースを持ち、本や紙に纏わる出展物を販売・展示しています。
そこで、私達は各々が購入したものや気になった出展物をチェックして、後日ゼミで話すことにしました。
その中で副ゼミ長の平彩楓さんが買ったのは、“新しい本との出会い”をテーマに、1冊の本が封筒の中に入れてあり、本文から抜粋された1文が封筒に記載されているというものでした。彼女はふだん図書館を利用するため本を購入して読むことが少ないということで、中身がほとんどわからない本を買ってみるという行為に新鮮さを感じたと語ってくれました。私はそれを聞き、そういった普段はしないような思い切った行動ができるという意味でも、イベント向きな要素がある作品だなと感じ、そうした発表する時の場所性が生きてくる作品にとても興味が湧きました。